北前堀緑地
2012年5日25日(土)くもり
近くの北前堀緑地へ自転車で向かいます。


緑地公園に到着、看板には「糀谷地域は低水位地帯であるため、
しばしば水害に悩まされていました。この水害防止対策として、
東京都が昭和18年に排水堀を作り、昭和23年に大田区が引き継ぎ、
地域住民のために貢献しました。
しかし、下水道の普及により、昭和46年に廃止し、堀も埋め立てられて、
緑地として利用されることになりました。昭和57年3月」との事。
写真か絵が書かれていたようだが、ほぼ消えています。
遊歩道と自転車道があります。

すぐ先に「糀谷浦海苔漁業発祥の地」と書かれたモニュメント。
これに関する碑や説明は、ありません。

帰ってから調べると「戦前、東京湾の海苔の生産は、全国シェア70%を
占めてた。
糀谷村と大森村は、江戸時代から昭和まで海苔の主要産地であったが、
羽田空港拡張に伴い海面は埋め立てられ、1962(昭37)年になって
漁業権は放棄された。」そうです。
今でも、糀谷には海苔問屋が多く残っています。
しばらく進むと橋があり下を通ります。

あっというまに緑道も終り、水門が今でも残っていました。

当時の状況が分かる航空写真と地図のリンク
★排水路時代の航空写真(1975年)
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CKT7415&courseno=C40&photono=36
★昭和31年発行の東京23区の地図です。
現代との比較や、その場所の当時の写真を見ることができます。
http://showa.mainichi.jp/map/?lat=35.56023040630021&lng=139.74656581878662
走行ルートは、こちらです

近くの北前堀緑地へ自転車で向かいます。
緑地公園に到着、看板には「糀谷地域は低水位地帯であるため、
しばしば水害に悩まされていました。この水害防止対策として、
東京都が昭和18年に排水堀を作り、昭和23年に大田区が引き継ぎ、
地域住民のために貢献しました。
しかし、下水道の普及により、昭和46年に廃止し、堀も埋め立てられて、
緑地として利用されることになりました。昭和57年3月」との事。
写真か絵が書かれていたようだが、ほぼ消えています。
遊歩道と自転車道があります。
すぐ先に「糀谷浦海苔漁業発祥の地」と書かれたモニュメント。
これに関する碑や説明は、ありません。
帰ってから調べると「戦前、東京湾の海苔の生産は、全国シェア70%を
占めてた。
糀谷村と大森村は、江戸時代から昭和まで海苔の主要産地であったが、
羽田空港拡張に伴い海面は埋め立てられ、1962(昭37)年になって
漁業権は放棄された。」そうです。
今でも、糀谷には海苔問屋が多く残っています。
しばらく進むと橋があり下を通ります。
あっというまに緑道も終り、水門が今でも残っていました。
当時の状況が分かる航空写真と地図のリンク
★排水路時代の航空写真(1975年)
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CKT7415&courseno=C40&photono=36
★昭和31年発行の東京23区の地図です。
現代との比較や、その場所の当時の写真を見ることができます。
http://showa.mainichi.jp/map/?lat=35.56023040630021&lng=139.74656581878662
走行ルートは、こちらです

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